
アール・ブルックスさんへのチャリティーのお知らせです。
彼は、スティールパンの大御所の方で、震災の後のチャリティコンサートの為に来日しパノラマスティールオーケストラの原田氏ともコラボしたり、乃木坂のカクタスでコンサートを行ったことがあり、日本とも親密な関係のあったスティールパン奏者です。🇹🇹では病気になる前まで、シングルパンバンドのアレンジャーで、80年代、90年代、2000年代と活躍されていて、トリニダード・トバゴの文化シーンを支えた方です。
日本でワークショップされた際の動画↓
チャリティーPJ発足人渡辺洋一さんより以下詳細です。
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【支援のお願い】スティールパンのレジェンド — アール・ブルックス Sr.
アール・ブルックス Sr. は、トリニダード&トバゴを代表するスティールパン奏者で、私にとって特別な存在です。
30年前、ブルックリンの自分のスタジオ Funky Slice で録音したことをきっかけに、長い年月を共にしてきました。
アールは、日本で多くの方に聴かれた “Steellove” シリーズでも欠かせない演奏者でした。
そして 2011年の東日本大震災のあと、日本で行われたチャリティコンサートにも参加し、被災地支援に力を貸してくれました。
この4年間、心臓疾患で入退院を繰り返し、
現在は 薬代もままならない厳しい状況 にあります。
そのため、このチャリティプロジェクトを立ち上げました。
WACK FM が国際対応の安全な寄付プラットフォームを提供し、
TOY’S FACTORY は本プロジェクトのためにマスター音源を無償提供してくださいました。
🎁5ドル以上の寄付で特典
アール・ブルックスによる ハイレゾ録音 をお届けします(受取方法は後日案内)。
寄付は 医療費と生活サポートに直接使用 されます。
どうか、この大切な時期に Earl を支えてください。
渡辺洋一(UTT / WeCapture)
👉 寄付はこちら(WACK FM Secure Platform)
https://wack.tv/donations/stand-with-earl-brooks/
ご参考に彼のプロフィールを掲載いたします。<<プロフィール>>↓
アール・ブルックス Sr.
パン奏者/アレンジャー/作曲家
アール・ブルックスは7歳のとき、サンファンのマーティン・トレースを拠点としていたバンド「Chetnicks」でスティールパンを弾き始めました。10歳になる頃には、フェボー・ヴィレッジのラベントン・ロードに拠点を置いていた「Melotones」へ移り、そこで5年間活動しました。
その後「Glamour Girl All Stars」へ移籍し、マーティン・アルビノから「スウィートな曲」を奏でる技術を学びました。このバンドでビル・ボナパルトと出会い、アレンジのスキルを磨きました。
「Glamour Girl All Stars」には長年在籍し、その後「East Side」(後の Potential Symphony)へ移籍。East Sideで演奏・編曲を行っていた期間には、「Desperadoes」でロケットパンやテナーを演奏するなど、多方面で活躍しました。
1977年には、Potential Symphonyがパノラマ・コンペティションで2位を獲得した曲「Tourist Leggo」の選曲に関わりました。
しかし彼の最初の大きな成果は、CUA Our Boys がトバゴ・パノラマで優勝した際、アールがアレンジャーを務めていたことでした。
その後数年間ロバート・グリニッジと共に活動し、Potential Symphonyを離れた後はPhase IIに加入しました。
1980年には複数のバンドをアレンジし、ニューヨークの Rolls Royce International Express で演奏も行いました。
1988年には命を落としかけるほどの大きな交通事故に遭いましたが、復帰しHattersで活動し、メンバーの増加に貢献しました。
過去には Birdsong、Klondykes、Deltones、Superstars、Mahaica Antigua など多くのバンドをアレンジし、グレナダのカリプソニアン Black Wizard の作品で初のレコーディングを行いました。
1991年には自作曲「Panatic」を作り、リンカーン・エンタープライズのためにアレンジ。この曲でバンドは Pan Ramajay Competition で2位を獲得しました。
現在アールはニューヨークのブルックリンを拠点としていますが、カーニバル時期にはしばしば帰国しています。
アール・ブルックス ― まさに「過去・現在・未来にわたる」真のパン奏者です。
